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【郷土糸島の偉人たち12】吉浦 秀次郎
更新日:2021年6月15日
ブラジルで文化功労章を授与された吉浦秀次郎
裸一貫で渡航した成功者 ブラジルのスイカ王
1892(明治25)年に志摩郡可也村松隈(現・志摩松隈)に生まれた吉浦秀次郎。1908(同41)年に糸島農学校(現・糸島農業高校)を卒業後は、家業の農業に従事した。
吉浦の家は、兄の学資に全財産を注ぎ込み、貧しい状況にあった。大家族を支えようと奮闘する吉浦だったが、なかなか状況を改善することはできなかった。
ある日、同じ可也村出身で福岡県農村青年連盟書記長の中村寅太(広報いとしま令和2年11月1日号掲載)からブラジルにはスイカがないことを聞いた。そこで吉浦は、農業での成功に向けて新境地を切り開くため、妻と3人の子ども、母、姉、妹も引き連れ、1930(昭和5)年にブラジルへの渡航に踏み切ったのであった。
吉浦は、移民組合の一員として奥地に入り、まずはコーヒー栽培に着手。その他、綿花栽培、養蚕、養鶏など幅広い分野にチャレンジしていった。中でも吉浦が特に注力したのがスイカである。
ブラジルに初めて持ち込んだスイカは、同国でも少しずつ人気が出始めた。糸島で培われた農業技術により、収穫量は順調に増加。吉浦のスイカ農園は100ha(福岡PayPayドーム約14個分の広さ)に及び、年にスイカが10回も収穫できる、国内随一の「スイカ王」となった。当時のスイカの市場価格は、吉浦の一存で決まるほどだった。
その後、吉浦の農場は作物の種類を増やし、ポンカン350ha、パイン800haなど拡大を進めた。常時100人余りの従業員、農繁期には200人の臨時雇いを雇用し、大型トラック38台を導入する大農園に発展させた。吉浦は、ブラジルの農業振興への功績に対して、同国から文化功労章を授与されている。
スイカ王となった吉浦は、ブラジルのサンパウロ州に在住中、数年に1度は自家用機で帰郷。地元の神社や寺院、可也小学校、糸島農学校、糸島新聞社に多額の浄財を寄附した。また、松隈の全物故者の回向や法要を営むなど、多大な浄財と心配りを惜しまず、1969(昭和44)年には志摩町の善行者として表彰された。
吉浦は1973(同48)年12月7日に逝去。現在でもブラジルでは多くのスイカが収穫されており、2016年の調査では収穫量が世界で4位となっている。これは、糸島出身の偉人の大きな功績の一つだといえよう。
日本からブラジルに持ち込んだ種でスイカ王となった吉浦。農場の経営は、後に3人の子どもに引き継がれた