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【郷土糸島の偉人たち06】中村 寅太

更新日:2020年11月1日

中村寅太01.jpg

勲一等旭日大綬章を受章した中村寅太(1972年11月3日)

農民の代弁者として中央政界で活躍 農学校卒の大臣

 

1965(昭和40)年、第1次佐藤栄作内閣の第1次改造内閣が発表された。次々とエリートの名が挙がる中、運輸大臣に任命されたのは、農学校卒の中村寅太であった。

1902(明治35)年8月3日、志摩郡可也村(現・志摩津和崎)に生まれた中村。糸島農学校(現・糸島農業高校)を卒業後、家業である農業に20年余り従事し、『百姓が報われない世の中を変えたい』という志を持つようになった。

中村は、福岡県産業組合(農協の前身)に入り、県農業会主事となる。その後、福岡県農村青年連盟を結成。書記長となり、農民の生活向上のために活躍した。

政界入りのきっかけは、政府による穀物の強制買い上げ「供出制度」を巡る事件。1946(昭和21)年当時、米の買い上げ価格は「1石当たり550円、叺(かます)代金22円」とされていた。この叺代金は農民側の負担とされ、日々の生活に重くのしかかっていた。この事態に中村は憤慨した。(叺…わらむしろで作った袋)
 
 農村青年連盟の総力を結集し政府に抗議したが、政府は聞く耳を持たない。すると中村は、福岡県下の全農民に米の供出禁止と食糧庫の封鎖を指示。福岡市では1週間、米が欠配となる事態となった。慌てた農林省が中村と協議。1947(同22)年4月に買い上げ制度が見直されることとなった。この騒動は「カマス騒動」と呼ばれ、中村は称賛の的となった。
 
この一件で、自分たちの代表者を国や県に送り出す必要性を痛感した中村は同年、衆院選への立候補を決意。選挙資金がなく、「選挙ポスターがない」「ラジオに出られない」など、『姿なき候補者』と揶揄されたが、見事に当選を決めた。これ以降、10回の当選を果たした。
 
『カマス代議士』『農民の真の味方であり、農民の父』と全国の農民から親しまれ、運輸大臣に任命されるまでに至った中村。「日米航空協定」や「日ソ航空協定」の締結などで成果を挙げ、東京‐新大阪間の新幹線の博多までの延伸に尽力し、これを実現させた。
 
1971(同46)年には、行政管理庁長官兼国家公安委員長として2度目の入閣。勲一等旭日大綬章や永年勤続表彰を受けた。

1976(同51)年、周囲に惜しまれつつ政界を勇退。わずか2年後の2月、75年の生涯を閉じた。まさに「農民の代弁者」を貫いた人物であった。
 

  • 中村寅太02.jpg

    当選を果たし、関係者とともに喜びをかみしめる中村(中央)

  • 永年勤続表彰.jpg

    永年勤続の表彰状

 

 

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