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#7 自然とつながり豊かに生きられる場をつくる 【糸島しごと】
更新日:2024年2月7日
#7 自然とつながり豊かに生きられる場をつくる
【記事(PDF版)はこちら】(PDF:890KB)
柴田美穂さん Shibata Miho
前原幼稚園勤務
1974年、神奈川県生まれ。二人の子の母。子育てをきっかけに、子どもののびのびとした遊びと育ちに関する活動を行う。現在は前原幼稚園に勤務し、休日には有機農法の野菜作りや養蜂を楽しみ、農と関わりながら暮らす「農的暮らし」を営む。
20代で関東での生活に行き詰まりを感じた柴田美穂さんは、2004年頃に糸島に移住。有機農法での田畑作りや、子どもがのびのび遊べる場づくりなどに取り組んだ。
柴田さんの行動の根底には「生産効率や経済性を優先するだけでなく、心の豊かさやつながりの中にある安心感を共有したい」という思いがある。柴田さんの思いの原点と、その思いを実現しようと糸島で取り組んだこと、これから糸島で挑戦したいことを聞いた。
有機農家での住み込み研修で、豊かな生き方を経験
柴田さんは20代で関東を離れるまでは、どんな生活をしていたのですか?
私は神奈川県出身で、大学に進学したのはバブル経済が弾けたころで、まだ大量生産、大量消費の時代でした。物があふれては廃棄されるのが辛く、環境問題への関心が一気に高まって、大学もそこそこに、国際環境NGOなどで活動しました。
卒業後は環境教育を行う会社で事務のパートとして働き、休日には、ほんの4畳ほどの貸農園で野菜づくりをしていました。でも、東京での生活に日々息苦しさを感じ、会社を退職して広島県の有機農家に1年間住み込みで滞在することにしたんです。
「関東にいた頃は不要なものはゴミでしたが、畑では不要な雑草でさえも肥料になり、捨てるものはないんです」と話す柴田さん
有機農家ではどんなことをしていましたか?
農家さんや他の研修生と協力して農作業をしました。ご飯もみんなで一緒に作って食べます。畑に寄り添った食卓は感動的でした。
例えば夏の食卓って、連日キュウリ、トマト、オクラ、ナスの繰り返しなんですよ。それしか採れないから。それが、この農家さんが作る料理は、ちょっとした味付けの違いで飽きることなく毎日おいしく食べられるんです。
その季節のものを一番おいしい方法で食べる工夫をしていることに、本当の豊かさを感じました。
限られた食材での食事に、豊かさを感じたんですね。
経済性や効率性の観点では、広島の有機農家の生活は手間も時間もかかります。でも私は、田畑で自分の糧を作り、不足なく食べる術を持ち、苦楽を共有しあえる仲間がいることに、お金には代えがたい安心感と豊かさを感じました。若さゆえの思いも強かったですが、今でも自分の価値観の原点になっていますね。
有機農家での経験が今の柴田さんの生き方につながっている
糸島で小さな規模の有機農法の畑作りに挑戦
糸島への移住のいきさつは?
広島の有機農家に約1年滞在して、自分でも畑を作りたいと思っていたところ、先に当時の糸島郡二丈町に家と畑を借りた農業仲間の女性がいたんです。家を間借りすることになり、私も移住しました。有機農法で畑を作り始め、のちに志摩町に住まいを移しました。
畑では何を作っていたのですか?
農業仲間のご縁で、地主さんから1反農地を借りて、鍬一本で耕して、旬の野菜を少量多品種作っていました。2年目には米も作りました。作物は自家用と糸島や福岡市の知り合い15軒くらいにセット販売することが多かったです。
現在、自宅の家庭菜園では約25種類もの旬の野菜を有機栽培している
糸島で畑作りをする良さは?
福岡市という大都市が、車で40分ほどの近さなのは魅力的でした。作った野菜類を40分で届けられるし、休日には消費者を田畑に招くこともできる。すごく可能性を感じました。
それと、糸島には熱心な世話焼きの人が多いです。森林の環境保護活動で知り合った人たちは「鍬一本で畑を頑張っとる女性がおる」と、私のことを気にかけてくれて。二丈から住まいを移すときに、志摩の古民家を見つけてくれたり、野菜の販売先を糸島で10軒ほど紹介してくれたり。ずいぶん助けられました。
畑作りで何を目指していましたか?
農作物を作って食べていければいい、という思いはありましたが、営農が目的ではありませんでした。
私は、田畑で種をまき、やがて実ったものを食べれば生きていけるという実感を、関東にいたころの私のような都市部の人たちと共有したかった。一緒に畑を作り、ご飯を作って食べる人たちとつながって、生活することが理想でした。実際に有機農家は40人が買い支えれば、一家で生活できると言われています。広島の有機農家もそうでした。有機農家は小さな規模でもやっていけるんです。そんな仕事のあり方を追求するのもいい、と思っていました。
「野菜たちは本当に美しくてエネルギーを感じる瞬間があり、ほれぼれします」と優しいまなざしで野菜を愛でる
理想にはどのくらい近づいていますか?
私は最大で18軒くらいのお客さんがいたのですが、一人で鍬一本での畑作りを行っていたため、出荷できる作物の量が不安定でした。畑を始めて3年で妊娠し、子育てしながらできるのか考えて、仕事としての畑作りは断念しました。
今は子育てが一番で、畑は生活に付随するものでよい、という考えです。土日や平日の空いた時間で、家族が食べる野菜は自分で作り、子どもにその豊かさを伝えていけたらと思っています。
子どもがのびのび遊び育つ場を作りたい
現在柴田さんは前原幼稚園に勤務していますが、有機農法での畑作りから一転、子どもに関わる仕事をしようと思ったきっかけは?
一番のきっかけは子育てですね。独身時代は興味なかったのに、子育てはとっても楽しくて。子どもには自然を体験したり、のびのび自由に遊んだり、体を思いっきり動かしたりする機会がたくさんあるといいなと思っていました。そんな思いから、子育てサークルで農作業体験を企画し、小学校の子育て仲間と共に、小学生の放課後遊び場「いとしまわいわい広場」を開設しました。その流れで、もっと子どもに専門的に関わりたくて保育士の資格を取得しました。
「いとしまわいわい広場」で全身を動かして遊ぶ子どもたち
(柴田さん提供)
今の仕事の働き方を教えてください。
2022年から前原幼稚園で働いています。前年に保育士の資格を取ったのですが、幼稚園教諭とは資格が異なるため、補助職員として子どもたちの生活や活動の補助をしています。勤務先は保育園も考えましたが、子育ての時間を第一にしたかったので、勤務時間帯がある程度一定している幼稚園での勤務を選びました。
個性豊かな子どもたちに囲まれ、
生活や活動の補助をしている
幼稚園の仕事では何に力を入れていますか?
自由遊びの時間や、延長保育でのお預かりの時間に、子どもに寄り添うことでしょうか。さまざまな個性の子ども一人一人が、なるべくのびのびできるといいなと思っています。お預かりの時間に、外で遊ぶ時は「全力で走るぞ!」と気合を入れていますし、園児にできそうな折り紙や工作を模索したり、触れ合い遊びを心がけたりしています。
やっぱり子どもとの触れ合いには、経済的な価値には代えられない豊かさを感じます。畑作りにも通じますね。
夕方の外遊びの時間に全力で走る
子どもたちと柴田さん
柴田さんが糸島で暮らして良かったと思うことは?
今は子育てを一番にしたいから、子育てを優先しつつも、幼稚園で子どもに関わる仕事ができて、農的な暮らしもできる。「どれも諦めたくない」という気持ちを実現できることかな。糸島なら広めの家庭菜園を持つことがそんなに難しくないし、市内で働くなら家が職場と近いので、ちょっと時間があれば土いじりができます。
糸島は働きながら農的暮らしをするには良いところですよ。
今後やってみたいことは?
私は田畑づくりをしたり、子育てをしてきたりして、特定の専門分野でのプロフェッショナルな生き方はしていないなぁと思います。でもその経験があったからこそ、若い頃には見えなかったことが、今は分かるようになりました。だから田畑づくりや子育てでの経験や大切に感じたことを、仕事に取り入れて生かしていきたいです。
子どもが自然を感じていきいきする姿を見てきたから、幼稚園では、子どもたちとプランターでエンドウの苗を育てています。次の春には草花遊びができるように、クローバーを園庭の一角に植える予定です。
もっと先の将来、子育てが落ち着いたら、子ども食堂などと連携して、農作業の体験など親子が自然の豊かさに触れる機会をつくれたらいいですね。かつて私が感動した、季節の野菜だけで豊かに暮らしていける生活を、若い人たちと共有したい。自然とつながって豊かに生きられることを、次の世代の人たちに伝えられるような場にできたらいいなと思っています。
「『ニンジンの葉ってこんなにおいしいんだ』と、若いお母さんたちが感じられる
場をつくりたい」と将来を思い描く
柴田さんの仕事や生活は、節目に合わせて変化しているが、根底にある思いは変わらない。経済的に測ることができない豊かな生き方を、糸島で探っていく柴田さんの話を、数年後にまた聞いてみたい。
(2023年12月取材、文=尾崎恭子 写真=渡邊精二、尾崎恭子)