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【郷土糸島の偉人たち05】友納 健

更新日:2020年10月15日

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糸島農協の初代組合長就任時の友納健(1962年・執務室にて)

卓越した指導力で 糸島農業の礎築く

米や麦、果樹、野菜、花き、乳製品、肉、卵など、今や全国で認知されるようになった糸島の農畜産物。伊都彩菜の売上高はJA直売所としては日本一を誇り、テレビで紹介されることも多くなった。その生産の根幹を支える糸島農協の設立に尽力し、糸島農業の礎を築いたのが、初代組合長・友納健だ。

1909(明治42 )年、友納は志摩町大字御床(現・志摩御床)に篤農家の長男として生まれた。1926(大正15)年に糸島農学校(現・糸島農業高校)を卒業すると、家業を継いだ。1933(昭和8)年、台湾に渡り総督府巡査を拝命。短期間で警部に昇格したが終戦により帰国。糸島で再び農業に従事した。

敗戦の混乱期にあって、友納は周囲に請われて糸島農民書記長となる。1948(同23)年に小富士村農業協同組合理事、次いで同組合長に就任。さらには、糸島郡農協運営協議会会長を経て、同組合長、福岡県園芸農協連合会会長などを兼任した。

やがて高度経済成長期を迎えると、都市部の労働者と農業者の収入格差が顕著になっていった。1961(同36)年、農業基本法が制定され、農業の近代化と合理化、そして農協統合の気運が高まった。

当時、糸島郡には14の農協と2つの連合会が存在した。合併には、組織規模や体制の違い、経営状況をはじめ、気が遠くなるほど多岐にわたる事項について調整が必要だったが、友納は優れた指導力を発揮。1962(同37)年に糸島農協は、「全国初の一郡一農協」「行政の枠を超えた広域農協」として誕生した。

また、1959(同34)年に福岡県議会議員に初当選。以来6期24年間、県議を務め、副議長や農林水産常任委員長などを歴任した。県民の幸福を追求する傍ら、糸島郡で唯一の県議会議員として、産業・経済・教育・福祉・地域振興などの多分野にわたる活動を行った。

これらの功績が認められ、1973(同48)年には藍綬褒章、1982(同57)年には勲四等旭日小綬章を受章した。
翌年6 月、病気のため死去。人生の大半を農業の振興と糸島の発展のために費やし、73年の生涯を閉じた。

『糸島郡農協三十年史』に友納の言葉が記されている。「一〇の力を持つ者は一〇を、七の力を持つ者は七を、それぞれが持つ力のすべてを出せ、一〇の力を持つ者が八しか出さないのは、七の力を全て出す者より劣る」。

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JA糸島本店前に設置された「友納健 翁之像」
「健」の読み方は「たけし」だが、「けん」の愛称で親しまれた。

 

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