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【郷土糸島の偉人たち01】井上 俊一

更新日:2020年6月1日

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若き日の井上俊一

長糸村振興のために一生をささげた

1885(明治18)年3月25日に旧長糸村で生まれた井上俊一は、長糸尋常小学校から修猷館(福岡市)、盛岡高等農林学校(岩手県盛岡市)へと進学。勉強熱心で郷土愛が強い井上は、1925(大正14)年に40歳の若さで長糸村の村長に就任した。翌年、九州大学農学部の教授に推薦されるも、村の振興に集中するため辞退。地位や名誉にこだわらぬ人であった。

1928(昭和3)年、昭和天皇即位後の大嘗祭に献じる米の斎田選定の折、主基には福岡県が選定された。県内94カ所の候補地から、脇山村(福岡市早良区)、山口村(筑紫=現筑紫野市)、長糸村の3カ所が最終候補地となり、結果発表の3 月15日。村民は、宇美八幡宮に集い吉報を心待ちにしていたが、主基斎田に選ばれたのは、脇山村だった。

村民たちはひどく落胆した。しかし、落選の悔しさをバネにこの日を村おこしの記念日にしようと神前で村民大会を実施。現在まで続く郷土振興大会(今年で93回目)の起源となった。

その後、井上の指示の下、村民総動員で道路など村の環境整備に奮闘。これらの努力が認められ、同年に神座用わらの献上斎田に、1933(同8)年に新嘗祭の献穀斎田に指定され、長糸村に光明がさした。

時間を守る習慣を浸透させるために郡内で初めてモーターサイレンを設置するなど、「住みよき村」にするため数え切れないほどの施策を講じた。教育熱心であった井上は、優秀な教師や生徒を援助し、小学校建設時には当時では珍しい医務室を整備するなど、特に教育の発展に力を注いだ。

その後、福岡県農業会理事糸島支部長(現糸島地区JA会長)や長糸村遺族会長を歴任。村長を退いた後も地方行政・教育・文化の振興に尽力した。 1951(同26)年、戦後の混乱の中、村民の強い要望を受け再び村長に就任。戦時下で開催できずにいた村民大会(村興記念日)を復活させ、村民の一致団結を図った。

1964(同39)年4月4日に逝去。5期20年の長きにわたり村長として、長糸の振興に尽力した。彼の功績なくして今の長糸はあり得ない。まさに長糸の礎を築いた人物である。

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長糸村役場(現長糸コミュニティセンター「あじさい館」)に立つ井上俊一翁像

注釈

  • 大嘗祭:天皇が即位の礼の後に初めて行う新嘗祭
  • 新嘗祭:11月23日に、天皇がその年の収穫に感謝する宮中祭祀
  • 主基斎田:大嘗祭において供される神饌の稲を収穫する田。2カ所あり、東を悠紀、西を主基と呼ぶ

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