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伊都国の王都「三雲・井原遺跡」が国史跡に指定されました。
更新日:2017年11月29日
国の文化審議会が6月16日に「三雲・井原遺跡」を国史跡にするように、文部科学大臣に答申していましたが、10月13日に官報告示が行われ、正式に糸島市8カ所目の国指定史跡になりました。
1.指定名称 三雲・井原遺跡
2.指定の対象の所在地 福岡県糸島市三雲52番地ほか10筆
3.指定の対象地域の面積 16,145.85平方メートル
4.遺跡の位置と現状
三雲・井原遺跡は福岡県糸島市三雲及び井原に位置する弥生時代の拠点集落です。遺跡は東を川原川、西を瑞梅寺川に挟まれた低位段丘上に位置します。昭和40年代末から県営ほ場整備が行われ、発掘調査も実施されました。基本的に盛土により遺跡が保護され、現在も良好な状態で保存されています。
5.調査の成果と価値
三雲・井原遺跡は南北1,500m、東西750mの範囲に広がる遺跡です。集落域と墓域を合わせて約60haを測るわが国を代表する弥生時代の拠点集落であり、中国の歴史書『魏志』倭人伝に記される「伊都国」の中心的拠点集落=王都に位置付けられます。
遺跡の調査は江戸時代の福岡藩士 青柳種信による記録作成に始まり、福岡県教育委員会による県営ほ場整備事業に伴う発掘調査を経て、糸島市教育委員会による発掘調査が行われました。その成果は大きく、三雲・井原遺跡の性格を端的に示す以下の3地点が指定されました。
(1)南小路地区-伊都国最初の王墓
◆弥生時代中期後半(約2,000年前)の伊都国王の墓
◆一辺30mを越える弥生時代の大型墳墓
◆主体部である2基の甕棺から中国製の銅鏡57面以上、ガラス璧、ヒスイ勾玉、銅剣など豪華な副葬品が出土
(2)番上地区-伊都国対外交渉の中枢地点
◆番上地区は弥生時代中期後半~古墳時代前期(約2,000~1,700年前)の伊都国対外交流の中枢地域
◆多量の中国製の土器(楽浪系土器)と国内2例目となる石製の硯が2点出土
◆『魏志倭人伝』には「(伊都国は)郡使の往来常に駐まる所なり」と記述
◆中国(楽浪郡や帯方郡)からの使者が番上地区付近に滞在した
◆伊都国王の求めに応じ中国に対する外交文書を作成した可能性がある
(3)加賀石地区-伊都国王都の始まりの地点
◆弥生時代初期(約2,500年前)の大型支石墓を確認
◆弥生時代前期(約2,500~2,300年前)の集落と墓域(甕棺)を確認
三雲・井原遺跡(南小路地区整備状況)
三雲・井原遺跡 南小路地区2号甕棺(発掘調査時)