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三雲南小路遺跡(みくもみなみしょうじいせき)
更新日:2009年11月1日
福岡県糸島市三雲の遺跡
この遺跡は江戸時代に発見されました。発見当時の様子を記録した『柳園古器略考』(青柳種信著)には、甕棺の大きさは「深三尺餘、腹經二尺許」であり、高さが90センチメートル以上、胴の直径が60センチメートルほどもある巨大なもので、その巨大な甕棺が二つ、口を合わせて埋められていた(1号甕棺)と書かれています。
中からは銅鏡35面、銅鉾2本、勾玉1個、管玉1個、璧1枚が出土しています。これらの出土品は現在ほとんど残されていませんが、わずかに銅鏡1面と銅剣1本が博多の聖福寺に伝えられおり、国の重要文化財に指定されています。
発掘調査風景(1号甕棺跡:右と2号甕棺:左)
最初の発見から150年後の昭和50年(1975)、福岡県教育委員会によって発掘調査が行われ、新たに2号甕棺が発見されました。
2号甕棺も高さ120センチメートル、胴の直径が90センチメートルの巨大な甕棺二つを口を合わせて埋めたものです。これも盗掘されていましたが、副葬品として銅鏡22面以上、碧玉製の勾玉1個、ガラス製の勾玉 個、ガラス製の管玉 個、ガラス製の垂飾1個などが出土しています。また、1号甕棺の破片や副葬品の銅鏡の破片多数、ガラス製の璧も出土しており、新たに金銅製の四葉座飾金具が出土しています。銅鏡はすべて中国製のものです。出土した甕棺からこの墓は弥生時代の中期後半(約2000年前)に造られたものと考えられています。
2号甕棺
1号甕棺副葬品
この調査では2基の甕棺のまわりをとり囲むと考えられる溝(周溝)の一部も発見されており、甕棺は墳丘(人工の盛土)の中に埋葬されたと考えられます。墳丘は東西32メートル×南北31メートルの正方形をしていたと推定され、弥生時代の墓としては巨大なものです。墳丘内には他に墓が無いので、この巨大な墳丘は2基の甕棺の埋葬のために造られたものです。
このように、他には見られない豪華な副葬品を持ち、巨大な墳丘に埋葬されていることから、この遺跡は伊都国の王の墓であると考えられます。また、副葬品の内容から1号に王が、2号に王妃が埋葬されたと考えられます。三雲南小路遺跡に並ぶものは須玖岡本遺跡(春日市)以外にはないことから、伊都国王は他の地域の王とは比べものにならないほど強大な権力を持っていたと考えられます。
現在、遺跡は埋め戻されていますが、説明板が設置されており、出土品の一部は近くの伊都国歴史博物館に展示されています。
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銅鏡(重要文化財)
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銅剣(重要文化財)
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飾金具
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ガラス璧
2号甕棺副葬品
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銅鏡
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碧玉製勾玉
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