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懐かしの青木酒屋(吉田区)

灯台もっと暮らし

まちづくりの拠点を目指し令和2年4月から新たにスタートした可也コミュニティセンター。

情報発信のツールとして、広報誌(しまてらす だより)も内容をリフレッシュし、新コーナー“灯台下暗し”を連載していす。ホームページでは“灯台もっと暮らし”として公開していきます。

可也校区のまだまだ知られていない、生活に役立つお店・心豊かになる場所・一生懸命に頑張っている人等にスポットをあて、校区の良さをアピールするコーナーです。

 

第23回 「懐かしの青木酒屋(吉田区)」(令和4年2月)

第23回目は、あぁ、懐かしの 吉田区 青木酒店 (あおきさかや)

今は少なくなった角打ちのお店。
ひと昔前、吉田区の中心に「青木酒店」という地域に愛されたお店があった。
夕方になると仕事帰りの人たちがふらっと暖簾をくぐる。
角打ちといってもイスがあり、奥座敷もしつらえてあり、ただの酒屋ではない。
ツマミはいたってシンプルに缶詰が数種類、人気は赤貝や鯖缶。
吉田は農家戸数が多く、農作業を終えて一日の疲れを癒すように一杯。
ご常連の中には、お隣の井田原や桜井から足を運んでいた方もいたという。
地域の会合後や行事の打合せの場としても利用され、公民館と吉田神社のすぐ横だったこともあり、とにかく、子どもから大人までお客の年齢層も幅広く地域密着型の酒店だった。

青木酒屋

青木酒屋(当時の外観)右側には吉田神社があります。

筆者も20年近く前にこんな場面を目撃したことがあった。
ある日曜日の夕方、当時スポーツ少年団の保護者会役員をしていて、吉田に住んでおられた同役員の方に連れられお店に行ったことがあった。
そこへ吉田の子どもたち数人がアイスクリームを買いに来た。
そのうちの1人がケースからアイスを一つ取り出し、「おじちゃん、アイス一つね」と二代目店主の青木要さんに声をかけ、店をあとにした。
青木さんは「つけ帳」に子どもの名前を書いていた。
のちに子どもか、その親が支払うのだろう。
子どもがつけをしていくのも驚いたが、吉田で代々受け継がれた信用というか、「つけの支払いは盆と正月」みたいな光景を目の当たりにした。
今では、子どもがアイスクリーム代をつけるなんて考えられないだろうが、当時はお互いの信用があってこそできることだっただろうし、吉田の人たちになくてはならない、地域に根付いたお店だったように思う。

吉田の団結の強さ、子どもからお年寄りまで各年代のチームワークの良さ、それとともに歴史を刻んできた「青木酒店」。
平成22年糸島市が誕生した年に幕を閉じた。
今でも復活を望む人が多くいることを最後に書き添えたい。
(佐田)