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「味噌は麹が命」樗木タツエさん
灯台もっと暮らし
まちづくりの拠点を目指し令和2年4月から新たにスタートした可也コミュニティセンター。
情報発信のツールとして、広報誌(しまてらす だより)も内容をリフレッシュし、新コーナー“灯台下暗し”を連載していす。ホームページでは“灯台もっと暮らし”として公開していきます。
可也校区のまだまだ知られていない、生活に役立つお店・心豊かになる場所・一生懸命に頑張っている人等にスポットをあて、校区の良さをアピールするコーナーです。
第11回 「味噌は麹が命」志摩井田原 樗木タツエさん(令和3年3月)
第11回目は、樗木ツタエさん
「このみそ汁、薬品みたいなニオイがする」娘たちの何気ない一言が、樗木さんの中できっかけとなり確かな決意へと変わっていった。
樗木タツエさん
井田原のみかん農家に嫁いでこられてからは主にネーブルオレンジを栽培。
昭和52年、寒波による大打撃を受けたことで、それまでのみかん栽培から、市場で野菜を仕入れ消費者に販売する八百屋へと転向。
当時、田舎では自家製の漬物や味噌などが珍しくなかったものの、福岡市内のお客さんたちには非常に重宝がられ、その手作りの良さと価値観に改めて気づかされた。加えて八百屋を始めて三年ほど経ったころ、娘たちの一言で、「味噌を自分で作ってみよう」と挑戦を決めた。
昭和55年9月に母の手ほどきで初めて味噌を仕込んだときのワクワク感や味噌の出来栄えに感激したこと、美味しさの満足感は今でも忘れられないそうです。
「味噌は麹が命」というように麹さえうまく作ればとても美味しい味噌が出来るといわれている。
温度と水分と栄養、この3つが非常に重要で、その時期や環境がいつもいっしょとは限らない。
長年の経験と感性が試される。
子ども達に味噌づくりを教える樗木さん
今では、志摩地区の小中学校の給食で使われ続けている樗木さんの味噌。
生産者の顔が見える産物だけに手抜きは出来ない。麹だけは納得のいくものをと日々こだわり続けているからこそ81歳を超えてもなお元気にがんばっておられます。
「皆さんに支えられここまでやってこられました。もう感謝の一言です」と今日もこれからも樗木さんの麹つくりは続いていきます。
(佐田)