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大浦台 行政区

更新日:2023年7月29日

わがまち自画自賛 第15回目(令和4年7月)

大浦台 行政区

可也校区には21の行政区があります。
ホームページ上で順に紹介していきます。

第15回目は、「大浦台」行政区(おおうらだいぎょうせいく)です。

大浦台 行政区はここ!

大浦台行政区は、中央の赤く縁取りされたところです。

大浦台 広域地図

(拡大)

大浦台行政区は、赤で縁取りされたところです。

大浦台 詳細地図

 

自画自賛!

大浦台行政区長の吉村区長に伺いました。

昭和49年7月旧志摩町開発公社によって志摩町大字師吉字大浦に大石団地として宅地造成されました。
約100戸分の宅地が分譲開始され、その後の民間宅地開発分と併せ130区画程の集落となりました。

大浦台 入り口

大浦台行政区の住宅街(奥には可也山)



可也山の麓の緩やかな東北向きの傾斜地にあり、何の取り柄とてなく、専用水道設備があるだけで道路は砂利道、公園や広場も無い、当時は家まわりで常会を開いてありました。

昭和52年4月に師吉区から分離独立、区名を公募し大浦台と決定しました。
その時の個数は60戸でした。
出身地はバラバラで地縁的に繋がりの無かった新しい住民達、若い子育て世代が多く、勢いがありました。
運動会、夏祭り、どんと焼き等の行事を実施し、地域の絆を深めていきました。

大浦台 運動広場

大浦台にある運動広場


当初より要望されていた集会所は設計計画より先んじて、共有財産基金の積立てとして、昭和57年より開始されるという熱の入れようでした。
5年6ヶ月の積立を成しとげ満額終了。
昭和62年12月大浦台集会所は落成しました。
ここではサ-クル・教室が思い思いに設立され、更に催事では文化祭、芸能祭、発表会等も盛んに行われました。

大浦台 集会所

大浦台区集会所(七夕の笹飾りがありました。)



しかしながら、職住分離の住宅地の宿命、住民の入れ替わりは少なく、若い人達が進学、就職、結婚、独立と親元を離れていき、残された者たちは、少子高齢化へ、延いては役員不足へとなす術もなく困る事になりました。

しかし近年の糸島ブ-ムの影響でしょうか、令和に入ってから10軒程の新築入居者があり、空地は5区画になりました。更に高齢化率も高止まりで一段落です。

最後に一言!

寄り合い所帯だからこそ一辺倒でなく、役員負担軽減をはかりつつ、緩やかな思いやりのある隣組となる事を祈念します。
(令和8年は区制50周年になります。)

 

大浦台行政区自治会の詳細は、「糸島生活」のホームページをご覧ください。

「糸島生活」大浦台行政区のページは、こちらをクリック(ジャンプします)