トップページ > 校区の情報・活動 > 可也校区歴史スポット巡り
可也校区歴史スポット巡り
更新日:2026年9月1日
はじめに
可也校区振興協議会(ふれあい文化委員会)では、令和7年度(2026年度)のまちづくり事業で、可也校区の歴史名所を遊びながら紹介する「可也の歴史すごろくマップ」を作成し、可也校区の全家庭に配布しました。
すごろくマップは可也コミュニティセンターなどに置いていましたが、印刷物のマップでは配布場所や配布部数が限られてくるため、せっかくの情報がもったいないとの意見をいただいていました。
このため、すごろくマップの作成に携わっていただきました「しまの寺子屋」さんや「ぶんぶんワークス」の稲富さんに、再度ご協力いただき、すごろくマップ内の歴史スポットを、あらためてホームページ上で紹介し、どなたにも見てもらえるようにしました。
すごろくマップ A2版両面カラー4つ折り 2026年3月可也校区全戸配布
歴史スポット位置図

1.志摩歴史資料館 2.龍念開
3.津和崎権現古墳 4.六所神社
5.長音寺 6.奉納神楽
7.幣の浜 8.瑠璃光寺
9.火山 10.蓮照寺
11.一の町遺跡 12.可也熊野神社
13.親山虚空蔵堂 14.ルースちゃん人形
15.大石神社 16.日吉神社
17.可也山の石切場 18.可也神社
- 1~18を順に記載しています。
- 気になる場所があれば、番号と名称のところをクリックしてください。
(それぞれの説明へジャンプします)
1.志摩歴史資料館(しまれきししりょうかん)
- 昔の志摩って、どんなところ? そんな歴史が学べるところです。
志摩歴史資料館外観
- 新町支石墓群から出土した人骨からの復顔像

志摩歴史資料館内に展示中
旧志摩町で発掘された考古資料(大昔の道具など)を保管・展示するため、平成8年(1996年)4月に開館しました。
建物の外観は船の形で、外壁は古墳をイメージしています。2階には、海に囲まれていた古代の志摩の人々の生活がうかがえる展示があり、1階の企画展示室では年に2回、テーマを変えた歴史企画の展示を行っています。
2.龍念開(りゅうねんひらき)
- この辺は昔は海だったところを埋めて陸地になりました。
志摩津和崎から新田に広がる田畑エリア
龍念和尚のお墓
今から400年以上も昔の天正18年(1590年)、肥前(佐賀)から移り住んだ龍念和尚が、津和崎(現在のイオン糸島店周辺)の海を陸地へと変える干拓工事を、農民たちと共に行いました。
これにより、海は田畑へと姿を変え、後の江戸時代にも干拓が進められたことによって、更に多くの農地が広がりました。
地域を豊かな土地へと導いた龍念和尚の功績は今も語り継がれており、そのお墓は大切に守られています。
3.津和崎権現古墳(つわざきごんげんこふん)
- 丘の上に祠があります。1700年くらい前のお墓だそうです。
津和崎権現古墳の上に立つ祠
権現古墳の出土品
津和崎公民館の東南にある全長33mほどの古墳(古代のお墓)で、4世紀初め頃に作られたとされています。
その後、墳丘の上に権現堂を建てた際、箱形の石棺が発見され、中から銅鏡や刀剣などが出土したといわれています。
現在は、銅鏡(二神二獣画像鏡)のみが伊都国歴史博物館に保管されています。
4.六所神社(ろくしょじんじゃ)
- 神社のそばに大きな楠の木! どのくらい長生きなんでしょうか?
六所神社の境内
天然記念物指定の大楠
熊野三神と住吉三神の六柱の神様を祀ることから六所神社の名があります。
神社の始まりは、神功皇后の伝説に由来すると伝えられ、神社には、享禄4年(1531年)に改築された際の棟札(建築や改築の記念として、建物内の高い所に取り付けた札)も残されています。
境内の2本の大楠は、それぞれ樹齢800年を超えるとされ、昭和35年(1960年)には福岡県の天然記念物に指定されました。
5.長音寺(ちょうおんじ)
- 志摩松隈にあるお寺です。更生保護事業発祥の地だそうです。
長音寺
更生保護事業発祥の地の石碑
人が何らかのつまずきから精神的、社会的に立ち直ることを「更生」といいます。
明治43年(1910年)、長音寺の住職・甘蔗大吽さんは、刑務所で刑期を終えても帰る所や仕事のない人たちを寺に引き取り、社会復帰(更生)を助ける活動を始めました。
この活動は、周囲の人たちの理解を得て、協力する人も集まり、現在の保護司事業へと繋がっていきます。
6.奉納神楽(ほうのうかぐら)
- 毎年4月29日に行われている吉田神社と井田原神社の年中行事です。
- 吉田神社
吉田神社境内
吉田神社に奉納する神楽の様子
- 井田原神社
井田原神社境内
井田原神社に奉納する神楽
吉田神社と井田原神社では、毎年4月29日に神楽が奉納されています。
白山神社(二丈福井)の福井神楽を招いて、午前に吉田、午後に井田原で、五穀豊穣などを祈願します。
演目中、鬼の面をつけた踊り手が見物席に下りてお祓いをしたり、舞台からお菓子や餅をまいたりすると、来場者から歓声が上がります。
7.幣の浜(にぎのはま)
- 玄界灘に面した全長約6キロメートルにも及ぶ弓なりの砂浜です。
火山の山頂から望む夕日の幣の浜
野北方面から見た幣の浜海岸
野北浜と芥屋大門を結ぶ美しいカーブを描いた松原と砂浜の海岸で、日本の「白砂青松100選」にも選ばれています。
天気の好い日には烏帽子島や壱岐を望むことができ、玄界灘に面した海は、サーフィンやドライブを楽しむ人々の人気スポットです。
また、砂浜でとれる良質の砂鉄は、古くからタタラ製鉄の原料とされていました。
8.瑠璃光寺(るりこうじ)
- 村人たちが彫ったと伝わる薬師如来像が祀られています。

瑠璃光寺境内
瑠璃光寺本堂
祀られている薬師如来像
奈良時代にインドから渡って来た清賀上人が開いたと伝えられています。
中世には荒廃していましたが、江戸時代に再興されました。
旧本堂にある薬師如来像(二代目)は、夢のお告げに従った村人によって彫られたといわれています。
当時の村人たちの信仰心がうかがえる、素朴なお顔がとても魅力的な仏様です。
9.火山(ひやま)
- 信仰と伝説の山です。山頂付近からは幣の浜が一望できます!
可也山側からみた火山
標高244メートルと、それほど高くはありませんが、山頂付近からは、弓なりの幣の浜が一望でき、美しい夕景でも有名な人気スポットです。
伝説では、神功皇后が山上で火を焚いたといわれ、また、玄界灘を渡る船からは瑠璃色(青色)の光が見えたともいいます。
古代には、海からの外敵侵入を煙で知らせる「狼煙」をあげた山ともいわれています。
10.蓮照寺(れんしょうじ)
- 火山の麓にあるお寺です。本堂は250年くらい前に建てられたとか…。
蓮照寺本堂
難病治療の薬の道具写真
志摩稲留にある蓮照寺は、江戸時代中期の安永期(1772年から80年)に建立されたと伝えられ、本堂もその頃に建てられたとみられています。
その後、嘉永4年(1851年)に改修されましたが、ほぼ創建当時の建築様式を現代に伝える貴重な建物とされています。
江戸時代から近代にかけては、難病治療の薬を作って販売する事業も手掛けていました。
11.一の町遺跡(いちのまちいせき)
- 今は見渡すかぎり田んぼですが、弥生時代は大きな建物もあった大きな集落でした。
志摩稲留付近
一の町遺跡の暮らしのイメージ図
志摩地域のほぼ中心部、可也山の北東部にあった弥生時代から古墳時代にかけての集落跡です。
平成9年(1997年)から8年間に6度の調査が行われました。太い柱を用いた大型建物の跡や、外来系の土器、銅製品、玉類など交易、祭祀、生産を示す遺物も多数出土していて、弥生時代の志摩地域の中心的集落だったと考えられています。
12.可也熊野神社(かやくまのじんじゃ)
- ずっと昔から地域の人々に信仰されてきた神社です。

可也熊野神社境内 
奉納されている絵馬
700年以上も昔の鎌倉時代に、紀州(和歌山県)熊野本宮大社から神様をお迎えしたことが、この神社の始まりとされています。
拝殿には、古くから奉納されている絵馬と並び、昭和の大阪万博やハワイ旅行のお礼に奉納した絵馬もみられます。
境内には、熊野本宮の導きの神とされる三本足の「八咫烏(やたがらす)」ののぼり旗が立っています。
八咫烏は、「ボールをゴールに導く」として、日本サッカー協会のシンボルにもなっています。
13.親山虚空蔵堂(おやまこくうぞうどう)
- 可也山の中腹にある親山虚空蔵堂には、4体の仏さまが祀られています。
親山虚空蔵堂の境内
祀られている仏像
かつてこの地には12の僧坊(お坊さんの宿舎)からなる大寺院がありました。
年月を経て廃寺のようになっていましたが、平成11年(1999年)に十一面観音立像が福岡県の文化財に指定されたのをきっかけに改築されました。
地元・親山の桧、杉が使われたお堂には、十一面観音とともに虚空蔵菩薩、大日如来が祀られています。
地域の人々の篤い信仰もあり、今も大切にされています。
14.ルースちゃん人形(可也小学校)
- アメリカから100年も前に贈られた人形です。
可也小学校校内に展示されているルースちゃん人形
寄贈されたルースちゃん人形
「世界の平和は子供から」との考えから アメリカで設立された世界児童親善協会は、昭和2年(1927年)、日本へ12000体あまりの「友情の人形(青い目の人形)」を贈りました。
その後、アメリカとの戦争により、この人形の多くは敵国人形として処分されましたが、可也小の人形は密かに隠されて守られました。
「ルースちゃん」人形は、平和の尊さを今も私たちに伝えています。
15.大石神社(おおいしじんじゃ)
- 大きな石の上に小さな祠が置かれた、ちょっと不思議な神社です。

大石神社境内
祀られている大きな石
高さ2.5メートル、幅4メートルほどの大きな石の上に、小さな祠がちょこんと置かれています。
「大石」という地名もこの石に由来していて、地域に親しまれている神社です。
この石を切り出せば災いが起こるとの言い伝えがある一方で、可也山から運んできた大石をそのまま放置したものではないか、との説もあります。
16.日吉神社(ひよしじんじゃ)
- 志摩師吉の小高い丘の上にある神社です。

日吉神社境内
奉納されている絵馬
鎌倉時代にあった天台山萬橘寺の空念というお坊さんが建立した神社ですが、萬橘寺は江戸時代になくなり、日吉神社だけが残りました。
主祭神の大己貴命、大山咋神に加え、大石神社の石凝姥命も一緒に祀られています。
拝殿には、昔の農作業や戦争などを描いた絵馬がギッシリ並んでいます。
17.可也山の石切場(かやさんのいしきりば)
- 登山道の途中に大きな石が残された石切場。石はどこに使われた?

可也山を登山していると現れる石切場
日光東照宮の鳥居として使用された可也山石切場からの石
可也山の登山道(師吉側)の途中にある大きな石は、昔、建築材料として花崗岩を切り出した「石切り場」の跡です。
可也山の花崗岩はとても良質とされていて、日光東照宮や櫻井神社、警固神社の石鳥居などに使われています。
しかし、切り出した大石を山から下ろして船に積み込む作業は、従事する村人の負担も大変大きなものでした。
18.可也神社(かやじんじゃ)
- 可也山の山頂近くにあります。

可也神社境内
可也山の山頂近くに建つ神社で、神武天皇などをお祀りしています。
神武天皇が日向国から東征に向かう途中でこの山頂に立ち寄り、国見を行ったとも言い伝えられています。
古い記録には、親山の熊野神社の摂社のひとつとありますが、もともとこの地に熊野神社があったともいわれており、参道は、親山側の登山道となっています。
- 可也山
可也山の標高は365メートル。
「小富士」「糸島富士」とも呼ばれる美しい山で、奈良時代の歌集「万葉集」にもうたわれている糸島半島のシンボルです。
可也山山頂から火山、志摩野北方面を眺む
おわりに
可也校区には、上記で紹介したように、歴史スポットがたくさんあります。
このように、可也校区が大変歴史のある所であると、改めて認識されたに違いありません。
先人たちの思いや生活、努力や偉業に思いをはせながら、このような歴史ある可也校区の同じ場所で、今こうして過ごさせてもらっていることを縁に感じ、大切にしたいと思います。
最後に、写真や資料のご提供をいただいた、「しまの寺子屋」(代表吉山峰代)さん、「ぶんぶんワークス」の稲富聡さんに、改めて感謝申し上げます。




