包石
印刷用ページを表示する 掲載日:2009年11月1日更新
古来から伝わる福岡県と佐賀県の県境の目印
包石の由来
昔はこの石の上にさらに丸い石を重ね、鼓(つづみ)の形をしていましたので「鼓石」といわれ、のちに「包石」となったといわれております。
天正16年(1588年)に肥前国と筑前国の境界線の協定を締結したという記録にも、この場所が記されております。
日本最初の全国地図「大日本沿海興地全図」を作成した、伊能忠敏の一行も、文化9年(1812年)にこの場所を訪れており、その時の測量日記の中に古歌として記されております。
「名にし逢う響の灘の白波は 鼓の石におとづるなり」


現在の包石
平成14年9月にこの地を急襲した台風により、一度倒壊してしまいましたが、地域住民の強い要望や募金活動により、佐賀県浜玉町(現在の唐津市浜玉)と福岡県二丈町(現在の糸島市二丈)が協力して平成16年8月に復元されました。
現在見られるのはこの復元後の包石です。
