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平成29年度2月号 vol.2

更新日:2018年2月27日

「企画展 松永冠山素描展に思う事」

 伊都郷土美術館では1/16(火曜日)~1/28(日曜日)まで、郷土糸島が誇る偉大な画家、松永冠山素描展が開催された。連日多くの美術愛好者が会場を訪れ、画伯の素晴らしい素描と、独特の味わいのある日本画の大作を楽しまれた。これまで一部の人たちにしか名前の知られていない画伯の生い立ちから幼少期、青年期、そして京都での学生時代の様子が、交友関係などユニークな展示と分かり易い説明で、観る人に興味を抱かせる企画となっていた。私自身、美術協会員としてお世話になっているが、松永画伯のことについてはほとんど知らなかっただけに、大変有意義で学ぶことが多かった。

 この会期中に当番だった私は、画伯の縁のある方と出会い話を聞くことが出来た。それによると、複雑な家庭環境の中で育ち恵まれていなかった画伯ではあるが、幼少の頃から非凡な才能は周囲の人たちから認められていた。画伯は絵描きになるという夢と信念をもち、当時では珍しい京都立絵画専門学校に入学。そのための費用を支援を周囲の人たちがしてくれたそうである。

 京都に出た画伯は、彼が持つ才能が花開き当時の文展(現在の日展)での度重なる入選を繰り返していくが、生活は苦しく、やがて福岡に戻ったとのことである。(その頃は絵描きが絵だけで食べていける時代ではなく皆貧しかったと言われる)私はそんな話をよく聞かされていたのでなるほどと納得した。京都で生活した美校時代の写真を見ると、日本画壇での有名人、福田平八郎をはじめ、そうそうたるメンバーが一緒に写っている。彼らは戦後の日本画壇をリードしてきた画家たちばかりである。冠山画伯がそのまま京都に残っていたら、彼らに負けない優秀な画家として認められていたかもしれないと思うと残念な気持ちにもなる。

 画伯は福岡に戻った後、県の美術協会の役員として県展の発展に尽力され、又、佐賀大学の美術部の講師など、地元での絵画教育での指導など後輩の指導に力を入れられた。尚、糸島美術協会の設立においても、彫刻家の原田新八郎先生と一緒になってその基礎をつくられた。大変感謝している。
  
平成30年2月  糸島美術協会  望月 暢一

(なお「冠山」の「冠」は、正しくは「寸」でなく「刂(りっとう)」。)

お問い合わせ

教育部 文化課
窓口の場所:新館6階
代表番号:092-323-1111
直通番号:092-332-2093
ファクス番号:092-321-0920

伊都郷土美術館
電話番号:092-322-5661

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