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塚田南遺跡

更新日:2009年11月1日

深江駅家の推定地

塚田南遺跡の画像

奈良時代を前後して、律令政府(りつりょうせいふ)は各地域と都との連絡体制を整えるために駅伝制(えきでんせい)をしき、各地に駅路(えきろ)と駅家(うまや)を設置しました。

駅路(えきろ)には30里(り)(16キロメートル)ごとに駅馬(えきま)を常備した役所を設置しましたが、これが駅家(うまや)であり、使者は疲れた馬を元気な馬へと乗り継ぎながら、目的地へと道を急ぎました。また駅家(うまや)は、沿岸に渡来した外国からの使者をもてなす宿泊所としても用いられることもあるなど、重要な役所としての役割を果たしていたようです。塚田南遺跡(つかだみなみいせき)からは、この駅路(えきろ)と思われる直線的な古代道路跡や、その道路に沿って建ち並ぶ大型の建物跡が発見され、「深江駅家(ふかえのうまや)」の跡である可能性が高い遺跡として注目を浴びました。現在は、部分的に町の史跡として保存整備され、「塚田南遺跡万葉公園」として一般に開放されています。

古代道路跡

古代道路跡の画像

側溝(そっこう)を伴い、幅6メートル、長さは直線部分だけでも70メートルが発掘されています。砂地に造られた遺跡でありながら、道路部分の路面は硬く突き固められていました。この道路跡は、第2次調査区域の東部で大きく北に曲がっており、その先は未調査部分に伸びています。おそらく、その先で東へと進路を戻し、九州の中心地であった大宰府へと向かっていたものでしょう。

大型掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)

大型掘立柱建物跡の画像

合計で4棟の大型の掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)が発掘されています。そのうちの3棟は古代道路跡に沿って直列して建てられており、駅家(うまや)の中心的な建物であったようです。「塚田南遺跡万葉公園」の丸太のようなベンチは、これらの掘立柱建物跡(ほったてばしらたてものあと)群の柱穴(柱を据える穴)と柱の位置を正確に復元したものです。

アクセス:JR筑肥線筑前深江駅徒歩5分

その後(のち)の深江駅家(ふかえのうまや)

深江駅家の画像

塚田南遺跡は、奈良時代の終わりから平安時代の初めごろに、突如姿を消しています。「深江駅家(ふかえのうまや)」は何らかの事情によってどこかへ移転したらしいのです。塚田南遺跡の東方約2キロメートルに位置する石崎・曲り田遺跡は、古代道路跡や官衙(かんが)的な遺構(いこう)、遺物(いぶつ)の出土があり、「深江駅家(ふかえのうまや)」の移転地である可能性があります。

お問い合わせ

教育委員会 文化課
窓口の場所:新館6階
代表番号:092-323-1111
直通番号:092-332-2093
ファクス番号:092-321-0920

文化財係
電話番号:092-332-2093

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