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鎌田龍一郎家文書

更新日:2015年4月17日

文化財の内容

 文書の伝来する志摩御床の鎌田龍一郎家は、志摩郡御床触(みとこふれ)の大庄屋を代々務めた家です。歴代当主の多くが甚吉を名乗り、甚吉貞俊は天和3(1683)年から正徳5(1715)年までの33年間、甚吉貞昌は享保13(1728)年から寛保3(1743)年までの16年間、平内種昌は延享元(1744)年から明和7(1770)年までの27年間、甚吉正栄は明和7(1770)年から文化10(1813)までの44年間、磯助正盛は文化10(1813)年から天保9(1838)年までの26年間、甚吉昌直は天保(1838)9年から安政4(1857)年までの20年間、それぞれが触口役(享保8年に大庄屋役に改称)、大庄屋役を務め、清五郎昌永は大庄屋格の庄屋役として明治維新を迎えました。  

 このことにより、鎌田龍一郎家には江戸期の庄屋関係文書が多く伝来しています。昌永はその後も、明治4年に御床貝塚両村庄屋役、明治6年に第15大区副戸長、明治16年に御床村辺田村東貝塚村西貝塚村戸長に任命され、次の当主、鎮雄は御床村外三村の戸長、怡土志摩早良郡書記を務めた後、税務関係の職を歴任し、退職後は小富士村村長、糸島郡会議員などを務めたため、近代の資料も多く含まれています。なお、江戸時代の文書については、明治6年の竹槍一揆の騒乱において、塩俵を投入した井戸に投げ込まれるという被害を受けており、大正年間の当主、鎌田鎮雄により修復されています。

 

 御床触(みとこふれ)とは?:福岡藩は志摩郡の村々を御床触と元岡触に二分し、それぞれに大庄屋を置いて統治していました。御床触には前原村、荻浦村、浦志村、大浦村、芥屋村、泊村、稲留村、松隈村、新田村、初村、野北村、貝塚村、小金丸村、久家村、油比村、吉田村、新町村、岐志村、馬場村、津和崎村、辺田村、井田原村、師吉村、御床村、船越村、姫島村が属します。

 

お問い合わせ

地域振興部 文化課
窓口の場所:4階
代表番号:092-323-1111
直通番号:092-332-2093
ファクス番号:092-323-2344

文化財係
電話番号:092-332-2093

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