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「かむり」という地名

更新日:2020年4月1日

「かむり」という地名

明治の初め、加布里を「かむり」と言い、「かふり」とは言いませんでした。

昔々、天平勝宝のころ、大宰大弐であった吉備真備が領内巡視の途中、姫越海岸(現 加布里公園から箱島の海岸)休息したそうです。
そのときに、そばにあった岩の上に冠を置いたことから、この付近の地域を「かんむり」・・「かむり」と呼ぶようになったと伝えられています。

明治七年に、加布里に開校された小学校は「冠小学校」でした。

加布里公園から箱島の海岸 桜
加布里公園から桜越しに箱島を眺む

箱島の写真
箱島

 

千早新田の干拓表彰碑の「歌舞里」

入川(千早新田)に、巨大な干拓石碑が建っています。
碑文は博多聖福寺の仙崖和尚の筆で、工事は、天保癸巳の年 日田に在住していた 郡代塩谷大四郎の見立てによって始められたと刻されています。

また、郡代の干拓に対する識見を高く評価する短歌が雄渾な筆致で刻されています。

「千早振る 神代の海を 田作りて 民もゆたかに 歌ひ舞里

千早新田の干拓碑
千早新田の干拓表彰碑

 

加布里コミュニティセンターの愛称は、
この地名の「かむり」干拓表彰碑の「歌ひ舞里」にちなんで、
 「歌舞里」と名付けられました。 

 

参考書 平成20年8月「加布里校区にようこそ」加布里校区公民館発行